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Interview: Ruboy – Ruboy Is God 日本語

Ruben Morenoこと、Ruboyはマキナアーティスト界の中でもっとも名高い人物であり、現在のマキナを成形しました。全盛期時代には著名なマキナレーベルから数えきれないほどのトラックをリリースした彼に、10年ぶりに過去と現在のマキナについて伺う事ができました。

 

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こんにちは、調子はどうですか?
ありがとう、すごくいいよ!インタビューをしてもらえるなんて光栄です。

まず始めに、Ruboyという名前はどこからきたのですか?
実は自分でもあまりよく覚えていなくて。なんとなく思いついて、響きが気に入ったから使っています。そこまで深く考えたわけではありません。

いつ頃から音楽活動を始めたのですか?最初からマキナのアーティストになろうと思ったのでしょうか。また、どのようにマキナについて知りましたか?
わたしが育った場所や環境がとても影響しています。当時のカタロニアではマキナがとても流行っていて、「Sistema 3」というクラブで盛んにパーティーが行われていました。そこで出会ったレギュラーDJたちにデモテープを渡したところ、とても気に入ってもらい、彼らのスタジオでわたしのデビュー曲、「My First Song」をプロデュースしてもらいました(曲の題名やわたしの名前から分かる通り、わたしはそういうことにあまりこだわりがありません)。この経験によりマキナミュージックに関わる事になり、全ての始まりでもありました。

音楽製作はどうやって勉強したのですか?
それは父のおかげですね。父は音楽を趣味としており、Ultravoxのようなポップミュージックを演奏するバンドを組んでいました。いつもシンセサイザーで遊ぶように促してくれたので、その頃から色々なシンセに触れる事ができました。当時は若かったので、色々な音楽に興味を持てて、とても刺激的でした。12歳のときにCubaseを触り始めましたがその時はAtariとMIDIシーケンサーしかありませんでした。12歳のときにKorg M1を使って自身初のトラックを製作し、当時の機材はまだ大事にとってあります。この機材に限らず、今まで使用した機材はほとんどとってあり、今でも使用する事があります。

当時はどのような機材やソフトを使っていましたか?
全ての始まりはAtari 1040 ST、500メガバイトのHD、白黒のモニターに、3.5インチのディスク数箱でした。Korg M1ではあまり色々な事が出来なかったので、少しずつ機材を増やしていきました。
始めのころにはKurzweil K2000をサンプリングに使用し、それから叔父からRoland SH101を購入し、アディティブ・シンセシス(加算合成)について勉強を始めました。その次に、今でも使用しているアナログミキサーを購入し、Roland JP8000を購入したときに自分が作り出したい音が出せるようになりました。

当時使用していたものと現在使用しているものに変化はありますか?
色々変わりましたし、それもすごいスピードで変化しています。常に新しいものに注意していないとあっという間に取り残されてしまいます。わたしはアナログの時代からこの世界に入り、常にスタジオの音響、モニター、ミキサー等といった、決して安くは無い機材に注意を払っていました。曲の録音をはじめ、何も問題が起きない事を祈りつつマスターに落としていました。いまは複数のプロジェクトを同時進行させる事が可能で、簡単に一つのプロジェクトから別のプロジェクトへ移る事ができます。それらを納得がいくまで何度も再編集することも可能なので、素晴らしい世界になりました。

音楽業界の変化や技術の進歩はあなたの音楽製作において影響はありましたか?
もちろんあります。心理的には以前と変わりないですが、音楽製作の流れは変わりました。ただし、本来のマキナの音を出すために、昔の技術や音はいまだに使用しています。

マキナがマキナであるために、マキナミュージックをプロデュースする際、どのような面を重要視していますか?
まず1点はっきりさせておきたいところがあります。恐らくあなたが言うマキナとは「Makina」の事で、カタロニア出身のプロデューサーが作った、カタロニア起源のものでしょう。遅いスタイルのスペイン産マキナは「Maquina」と綴られており、バレンシアでのテクノブーム、「Ruta of Bakalao」時代に作られました。わたしはまだ子供だったので、その時代を過ごす事ができませんでした。バレンシア産の「K」がつく「Makina」は「Maquina」よりもスピードを速くして(140 BPMを175 BPMに)、さらに激しく、子供っぽいメロディーライン(当時のイタリアンスタイルに影響されたと言われています)を加えて、Maquinaを駆逐しました。全てが変わったのはDJが2つの曲をミックスするようになり、両方のトラックでブレイクダウンなどを合わせ始めたころです。一つのターンテーブルでトラックを流し、もう一方のターンテーブルには音を重ねたらよく聴こえるものをセットしていました。わたしはこの新しいミックススタイルに興味をもち、クラブ「Chasis」でRicardo Fがこの手法をとってプレイするのを聴く事ができました。誰が、どのようにこのスタイルを始めたのかは今でも分からないですし、二つのトラックが重なり合うとかっこよく聴こえますが、どのような原理でよく聴こえるようになるか説明が出来ませんでした。当時のわたしはこのようなスタイルはあまり好きではありませんでしたがある日、プロのDJと話し合う機会があり、トーンが合う二つのトラックを重ねてみては、と提案してみましたが、無視されてしまいました。当時の良いミックスは自然に生まれた、単なる偶然の産物でした。いまは「Mixed In Key」といったアプリがあるようですが、先に特許を取っておけばよかったですね、ハハハ。

マキナトラックを作成する時はどこから始めますか?メロディ?キック?イントロ?
そのトラックによりますね。全てのトラックが同じものからインスピリーションが湧き上がるとは限りません。わたしはマキナを製作するにあたって、色々なリソースを持っています。例えばThunderdomeのコントラ(マキナ特有のベースラインのような音)とPublic Enemyからのボーカルサンプルだけでも十分に効果的と言えます。全くゼロからメロディが浮かび上がる事もありますし、VangelisやJ.M.Jarreといったエレクトロミュージックの元祖からインスピレーションが湧き上がる事があります。わたしはピアノと歌の経験があるので音楽作成にはあまり苦労しませんが、ミュージシャン経験がないプロデューサーもたくさんいて、成功している人もいます。

現在のマキナと数年前のマキナではかなりサウンドが変わりました。今まで多くのマキナ作品を生みだしてきた者として、この進化についてどう思われますか。
ごく自然な事だと思います。マキナも他のジャンルの影響により少しずつ変化していって、色々な人材が出たり入ったりしているので進化するのは普通の事でしょう。

スペイン以外でマキナが流行ると思っていましたか?
正直言って予想外でした。マキナスタイルが廃れているとは言わないまでも、早いBPMは若者にしか受け入れられないと思いました。GuettaやSwedish House Mafiaといったスペイン以外の有名なアーティストの曲を聴くと、マキナ全盛期のメロディを彷彿させます。唯一スペインと違うのはBPMが違うという事だけです。

知っていましたか、日本のマキナDJはあなたの事を神と呼んでいます。また、世界中の多くの人はそれに賛成すると思います。
初耳です。もっと早く知っていたら日本に引っ越していたかもしれません。まだ間に合いますか?

日本で起きているマキナムーブメントについてはどう思いますか?
素晴らしいです。今でもマキナがプレイされているところはとても限られており、自分が少しでも影響を与える事が出来たのは光栄です。わたしが初めて外国でプレイしたのはイギリスのニューカッスルで、仲間もたくさんいたのでとても良い思い出です。他にもスコットランドやフランスでもプレイしました。

マキナの他に、どのようなスタイルの音楽を製作していますか?
前にも言ったように、マキナは突然わたしの目の前に現れました。Ruboyと名乗り初めてからある程度成功したので、今でも初心を忘れずにマキナを作り続けています。たくさんの人が自分の次の作品を心待ちしているのは名誉な事です。作品を作り出すのがゴールではなく、もはやみんなからのフィードバックのためですね。今はSURRENDER DJSとして相棒のRad Wolfと音楽活動を行っています。このときはBen Monroeという名前を使用していて、どんな音楽でもやります!

音楽活動以外は何をしていますか?他に趣味などはありますか?
いつも音楽活動に携わっています。常に新しいものや新しい音楽の流行りを自分のサウンドに取り込めるかどうか模索しています。音楽以外になると家族と過ごしたり、景色を眺めながら散歩したり、ペットと遊んだりしています。

旅行で行ってみたいところはありますか?
お金があればパートナーとどこかに行ってみたいです。アフリカのように、自然が豊富で海が美しく、自然界で暮らす動物を見られるところだったらどこでもいいです。日本にも興味があります。そのうち案内してもらえますか?

インタビューにご協力いただき、ありがとうございました。最後に何かありますか?
こちらこそインタビューしていただき、ありがとうございました!

日本語の翻訳: Rei Hayashi