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Interview: PJ Makina – Makina Scotland! 日本語

先日Steven McClintock、通称PJ Makinaのmakinacastを公表しました。これで皆さんは彼の歌に親しんでいただけたと思いますので、makinacastの裏側について説明させて頂きます。PJ Makinaは、スコットランドにあるマキナの主な主導権でありながら、Tri-Format Recordsの所有者でもあるのです。
それでは、Makinaforceの提供からPJ Makinaさんです。

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Makinacast 1 – PJ Makina

 
まず初めに、PJ MakinaのPJって何の略なのですか?そしてどうやってこの名前はできたのですか?
これは私がよく受ける質問ですけど、答えはいたって簡単です。この名前は私が11歳の時から持っていて、兄のニックネームが“Patey”だったことから、ある日彼の友達が私を“Patey Junior”と呼んだのがきっかけで、それ以来PJというのを使ってます。

ご存知のとおり、マキナは特にスペイン以外のところでは結構名の知れているジャンルですが、どういう経緯によりスコットランドで最初にマキナを開拓したのですか?
マキナを見つけたのは、まったくの偶然だったんです。同時私はドイツ系のトランス音楽にはまっていたから、新しいレコードが欲しくて探していたところ、”Xavi Metralla Session in Pont Aeri”と言うのに出会ったんです。私はあの時9分のセッション後に聞いたXavi MetrallaのHappy Melodyという曲を一生忘れません。あんなにすばらしい作品は兄が聞いていた90年代のBonkersカセット以来の衝撃でした。それからPont Aeriについて調べ始めてしばらくした頃、私はあの曲がマキナというスコットランドでは“スペイン系ハードコア”と呼ばれるジャンルだってことが分かったんです。

イギリスにいたあなたなら、イギリス系ハードコアもご存知でしょう。にもかかわらず、なぜ有名なイギリス系ハードコアではなくマキナのほうに注目したのですか?
私は昔からイギリス系ハードコアはあまり好まないし、今でもそんなに好きではありません。でも、Scott Brownの90年代後半から2003年あたりにかけてのイギリス系ハードコアは例外で、それに出会う前はハッピーハードコアとテクノが好きでした。

ほとんどのDJが次にするべきことは自分で作曲することですが、あなたはどのようにして始めましたか?そして、どんな機器を使ったのですか?
最初は興味本位で2008年後半から始めました。ソフトを何個か買い、作曲を試みたのですが、すぐに作曲について何も知識がないことに気が付きました。それで大学の都市系/電子音楽創作の講義を受けることにしたんです。大学には生徒のために£100,000のスタジオ設備が4個もあったので、その機器を使い始めました。チャンネルミキサーが64個、プロツール、ジェネレックスタジオモニターなどがそろっていたから、初めて経験するには最適の場所でした。今はDJ Gray MCのスタジオ、GMCスタジオを使って作曲しています。私が曲を書き上げるためには最高の装置なんです!

作曲しはじめのころ、どのように感じていましたか?なにか目指していたものなどはありましたか?そして、その目標は思い通りに行きましたか?
最初の頃はとっても難しく、あまり進歩が見られなくて、途中で諦めたことも何度かありました。それでも目標を持って挑んだことですから完全に投げ出したくはなかったんです。まずは自分が作曲した曲をライブイベントで流すことを目指していました。DJ Sernaが私の曲、Cosmic Rayを一番最初にクラブで流してくれた人です。
 
他のジャンルの曲も作ってみたりしたことはありますか?
はい、あります。大多数の人が私はマキナしか作曲しないと思っているようですが、正直に言うと、昔のWest-Coast G-Funk Hip-Hop系も大好きで、そのジャンルの曲も数々書いています。あと、トランス、ハード系、やオーケストラ系なんかのも何個か作曲したことがあります。

マキナに限らず、主に誰から影響を受けましたか?その理由も教えてください。
一番音楽で影響を受けたのはTupac Shakurでしょう。なぜなら彼の音楽は他では聴いたことがないような物語があるし、その話は私にも関連があったりするからです。でも、作曲に関してはDr. Dreの影響が大きいと思います。理由は説明しなくても私の曲を聞けば、よく分かると思います。それで私が作るマキナのスタイルに関しては、DJ Ruboy、DJ Konik、Frank Díaz、Gerard Requena、とDJ Pildoの製作者らの影響です。なぜかというと最初に私が聞いたマキナを作曲したのは彼らはADN, Bit MusicとUptempoのレーベルが付いてたからです。

スコットランドのマキナ製作者として、スコットランドとスペインのマキナの違いについてどう思いますか?
スペインのマキナはスコットランドのやつとはかなり違います。これはスペインのクラブがつねに新曲を3個以上のターンテーブルを使ってで演奏しているのに対して、スコットランドでは1996年から2001年の曲を2個のターンテーブルで演奏しているからです。これはイギリス全体でも同じです。イギリスではMCがほとんど毎回いる上に、私の趣味とは基本的に合いません。私はDJが曲を3,4個のターンテーブルを使いながら自分なりにベースを加えてリミックスしたのが好きなのですが、イギリスではこのタイプの曲はほとんど聞くことは出来ないんです。

あなたはどういった経緯でDJ Gary MCと出合ったのですか?お互い知り合った時にはすでにマキナに興味を持っていたのですか?
それについて考えてみたのですが…まぁ、Garyと2008年に初めて会った時に彼はDimensionalをGlasgowで演奏していて、私はちょっとお喋りしただけです。でもその後私がHNDを大学で勉強していたら、Garyも同じクラスを取っていたんです。私が彼に一番最近作曲した曲を聞かせたら、彼から共同作品を彼のスタジオで作ってみないかと誘ってきてくれたんです。だから2009年前半に私は彼のスタジオを訪れ、彼のレーベルデジタル化の計画について聞かせてもらい、私の曲を世に送り出すことも提案してくれました。そのほかはもうただの歴史にすぎません。

作曲の他に何か趣味はありますか?
私の音楽に対する情熱はすごく強いから私はどんな趣味も音楽を中心に楽しむようにしています。DJをするのが好きで、私の技術を習い人には誰にでも伝授しました。もうひとつ音楽とは関係のない趣味と言えば、道端でバイクに乗ることです。物心が付いた頃からバイクは好きでした。あとは犬も好きです。特にスタフォードシャイアー・ブルテリスは何回かブリードして自分で4匹飼いました。イギリスでは悪い印象があるのですが、私はこのブリードの素晴らしさが分からないなんて恥だと思います。

Tri-Format Recordsのについて成り立ちなどを教えてください。
実はTri-Format Recordsの成り立ちはちょっと妙な感じなんです。Glasgowから来たDJ Dazeという製作者が新しいレーベルを作りたくて、私にその名前の候補を考えて欲しいと言ってきたんです。彼はCD、レコード、とMP3の3種類の形式で公開したがっていました。それを由来に私はTri-Format Recordsという名前を提案したら気に入ってくれたんです。だけどレーベルは結局作られず、私はロゴをデザインし、その後自らレーベルも作っちゃったんです。

あなたはほとんど旧式のマキナを作曲していますが、最近のハードトランス傾向のマキナのことはどう思いますか?
新式のマキナもマキナのジャンルの内だから全部好きです。でもスコットランドではDJ Gary MCと私がそういう気分である時以外は誰もこの形式のマキナは演奏しません。しかし個人的にマキナがこれから以前みたいに人気なるためには旧式のマキナに戻って、昔の新鮮な音になる必要があるでしょう。Jordi K-Stana、DJ Contra、Cross-B、とRaul Lokuraはいい例えです。彼らは未来のマキナを引っ張っていくと思います。

これからのあなたはどうなっていくと思いますか?
将来的に自分個人でGlasgowにて最高のマキナDJ達を世界中から集めた大きなマキナイベントを開催したいと思っています。そして、自分のレーベルをもっと大きく成功するように成長させていけたらいいなと思います。

インタビューにご協力いただきありがとうございました。最後に皆さんにメッセージなどありますか?
まずスコットランド以外の場所から私をFacebookでフォローしてくれているマキナファンの方々にお詫びをしなくてはなりません。私が投稿するものに関する質問でGlasgowの俗語が分からないというメッセージが多数あったからです。本当に申し訳ないので、止めるように強く心がけます!!ハハ!あ、それと…Makinaforceに沢山の努力と時間を費やしてくれた皆さんに感謝します。マキナシーンが成功することを祈ります。最後にDJ Gary MC(私の罪深いパートナー!)にも心から感謝したいと思います。マキナは永遠です!

日本語の翻訳: Miharu Hayashi